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セント・ロー (護衛空母) : ミニ英和和英辞書
セント・ロー (護衛空母)[はは]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
護衛 : [ごえい]
  1. (n,vs) guard 2. convoy 3. escort 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空母 : [くうぼ]
 【名詞】 1. aircraft carrier 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

セント・ロー (護衛空母) : ウィキペディア日本語版
セント・ロー (護衛空母)[はは]

セント・ロー (USS St. Lo, AVG/ACV/CVE-63) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の9番艦。
==艦歴==
セント・ローはチャピン・ベイ (USS Chapin Bay) として1943年1月23日にワシントン州バンクーバーカイザー造船所で起工する。1943年4月3日にミッドウェイ (USS Midway) と改名され、1943年8月17日にハワード・ニクソン・コールター夫人によって進水、1943年10月23日にF・J・マッケナ艦長の指揮下就役する。
ミッドウェイは西海岸での整調後、真珠湾およびオーストラリアへ第65混成飛行団(VC-65)を乗艦させ補充の戦闘機輸送任務に赴く。6月1日にジェラルド・F・ボーガン少将率いる空母支援グループに加わりマリアナ諸島進攻に参加する。6月15日にはサイパンへの攻撃部隊に加わり航空支援を行う。ミッドウェイは数度の敵襲に遭遇したが、サイパンでの作戦活動中の損害はなかった。VC-65 の FM-2 ワイルドキャットは航空偵察任務の間に4機の日本機を撃墜、1機を破壊した。
7月13日にエニウェトク環礁へ補給のため向かい、23日にティニアン島への攻撃に参加する。ミッドウェイは地上部隊のための航空支援と対潜水艦偵察巡航を継続し、7月28日に補給のため同水域を離脱した。
ミッドウェイはエニウェトク環礁に8月9日まで停泊し、その後アドミラルティ諸島マヌス島ゼーアドラー湾に向かい8月13日に到着する。
9月10日にミッドウェイはモロタイ島侵攻のための第77任務部隊に配属される。上陸部隊支援を9月15日に開始し、輸送部隊の援護を22日まで継続した。燃料、弾薬補給後モロタイ島沖で任務を再開する。10月2日に日本軍潜水艦呂-41がミッドウェイに二発の魚雷を発射する。マッケナ艦長はこれを回避するが、一発の魚雷がシェルトン (''USS Shelton, DE-407'') の船尾に命中し、シェルトンは曳航されるものの途中沈没した。ミッドウェイはゼーアドラー湾に10月7日帰還し、10月10日にミッドウェイはセント・ローと改名される。新たな艦名は1944年7月18日にアメリカ軍によって占領されたフランスサン=ローを記念して命名され、ミッドウェイの艦名は新型巨大空母に流用された。
セント・ローはゼーアドラー湾を10月12日に出航し、レイテ島侵攻作戦に参加する。上陸部隊の上空支援および支援空爆を命じられ、セント・ローはレイテ島に10月18日到着する。レイテ島北東部のタクロバンに対して地上支援の爆撃を行う。セント・ローはクリフトン・スプレイグ少将率いる「タフィー3 ''Taffy 3''」(第77.4.3任務群)と共に作戦活動を行う。同部隊は6隻の護衛空母と、その護衛の駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻から成った。セント・ローはレイテ島東海岸およびサマール島沖で活動し、艦載機部隊は10月18日から24日にかけて編成替えされ、レイテ島とサマール島の日本軍施設に対して攻撃を行った。
10月25日の夜明け前にサマール島東60マイルの水域に向けてセント・ローは出航する。4機の対潜哨戒機を発艦させ、一方タフィー3の残りの空母は同日に行われる上陸に先立っての地上攻撃準備を行った。サマール沖海戦は06:47に開始し、セント・ローから発艦した対潜哨戒機のパイロットであるビル・ブルックス少尉は4隻の戦艦、6隻の巡洋艦、10から12隻の駆逐艦から成る日本艦隊が17マイル西北から接近中であることを報告した。同時にセント・ローの哨戒班は水平線上に日本戦艦独特の上部構造物を発見した。スプレイグ少将はタフィー3に全速力で南へ回頭を命じた。栗田健男中将率いる日本艦隊は06:58に砲撃を開始し、それはタフィー3を火力、数共に圧倒した。
セント・ローと僚艦の5隻の護衛空母は砲撃を回避し、搭載する戦闘機及び雷撃機全ての発艦を開始した。空母部隊は日本の戦艦・巡洋艦からの砲撃に追われながらも、パイロットに対し日本艦隊への攻撃とレイテ島のタクロバン臨時飛行場へ弾薬、燃料再補給のため着陸するよう命じた。日本の砲撃はセント・ローの付近に着弾し、混乱は迅速に広がった。
07:38の時点で日本の巡洋艦はセント・ローの14,000ヤードまで接近した。セント・ローは日本の砲撃に対し単装5インチ砲で応戦し、利根型重巡洋艦に三発の命中弾を与えた。続く1時間半、栗田中将の艦隊はタフィー3に接近し、10,000ヤードの距離からセント・ローへ砲撃を加えた。多くの砲弾が付近に着弾、頭上を通過した。砲撃戦の間、空母とその護衛は日本軍の砲撃精度を落とすため煙幕を使用した。さらに駆逐艦、護衛駆逐艦による勇敢な攻撃も日本軍の攻撃を効果的に妨げた。この戦闘の間、栗田艦隊はタフィー3および南方に位置したもう2隻の空母艦載機による航空攻撃の下にあった。
アメリカ軍の航空攻撃および駆逐艦、護衛駆逐艦からの攻撃が増し、日本巡洋艦は戦闘を停止し09:20に北方へ回頭した。09:15に日本駆逐艦は10,500ヤードの距離からジョンストン (''USS Johnston, DD-557'') に向けて水雷攻撃を開始した。魚雷は護衛駆逐艦まで達し、ジョンストンは被雷した。セント・ローの艦載機アヴェンジャーのパイロット、ワルドロップ少尉は機銃掃射で二発の魚雷を爆破した。
一連の戦闘でタフィー3はガンビア・ベイ (''USS Gambier Bay, CVE-73'') 、ジョンストン (''USS Johnston, DD-557'') 、ホーエル (''USS Hoel, DD-533'') 、サミュエル・B・ロバーツ (''USS Samuel B. Roberts, DE-413'') を失った。
10:47に任務部隊は第1神風特別攻撃隊「敷島隊」の攻撃を受ける。40分にも及ぶ日本の特攻機による攻撃でファンショー・ベイ (''USS Fanshaw Bay, CVE-70'') を除く全ての護衛空母が損傷を受けた。10:51に関行男海軍大尉機(通説による。実際には同艦に突入したのは編隊の4番機であり、隊長として先頭にいたはずの関ではあり得ない、と言われている。関が突入したのは10:49、同型艦のカリニン・ベイであるという)がセント・ローの飛行甲板に突入する。同機が搭載していた爆弾は飛行甲板を貫通して爆発、右舷格納庫甲板に火災を生じさせた。火災はガソリンに引火、格納庫内の航空機の搭載魚雷及び爆弾が誘爆したものも含め6度の爆発が生じた。セント・ローは炎に包まれ、30分後に沈没した。
889人の乗組員の内143名が死亡または行方不明となり、生存者はヒーアマン (''USS Heermann, DD-532'') 、ジョン・C・バトラー (''USS John C. Butler, DE-339'') 、レイモンド (''USS Raymond, DE-341'') 、デニス (''USS Dennis, DE-405'') によって救助された。デニスは434名を救出し周囲を驚かせた。
セント・ローは第二次世界大戦の戦功で4つの従軍星章と、サマール沖海戦の戦功で殊勲部隊章を受章した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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